国境を超えて

2009-05-10

統一展望台 

遠くに北朝鮮を望む国境にかかる橋

南北の国境にかかる橋

日曜日は、長崎大学陸上部の後輩で、現在、韓国人被爆者の実態調査をしている、熊谷敦史(くまがえあつし)先生のご招待でソウルを訪問しました。 熊谷先生は、もともと第一外科の医局員ですが、被爆地長崎での体験から、長崎大学医学部原爆後遺症研究施設の山下教授の大学院生となり、その後は大学の先生として甲状腺ガンの疫学調査に韓国やチェルノブイリで精力的に取り組んでいます。 わたしが6年生の時の1年生ですが、いまやアジアをまたにかけて活躍する姿をみると、本当にうれしくなります。
熊谷君は(陸上部では後輩は、君づけか、苗字の呼び捨てが原則、先輩は、さんづけです)、学生時代はおとなしい、律儀なタイプでしたが、今では、大韓赤十字の美人職員を細君にもつ、国際派医師になっており、現地での信頼も厚いです。

今回、その彼のはからいで、南北朝鮮の国境沿いにある、統一展望台と自由の橋を訪れることができました。 この展望台から、北朝鮮の住民の暮らしが手に取るように直接見ることができます。 また、自由の橋は、1953年に、朝鮮戦争の捕虜12,733人が交換された橋として有名ですが、現在でも、北側は封鎖されたままでした。 また、南側のいたる場所で、鉄条網をみますが、民族が分断される苦痛を肌で感じることができます。

街で印象的だったのは、ソウルでの若者の多さと、彼らの目がギラギラ光っていることでした。 失業率が日本より高く、景気がよくないにもかかわらず、この国の若者の目には、小さな国や組織が伸びていくときにある可能性と生活のリアリティーがあるのです。

今回の訪問中に、次のような若者向けの文章が目にとまりました。

『 独立すること。 親から離れなさい。 親元を離れるというのは、親から霊的・経済的・精神的に独立することです。 親元で助けてもらいながら暮らしていた時期を終え、親を敬いながら生きてゆくことです。今がちょうどその時です。喜んで旅たてば幸せをつかむことができるでしょう』 と。

自分が、誰かに、あるいは社会に必要とされている実感を人生の早い時期に体験することが、必ず、わかものには必要ですが、親から早く独立することで、その糸口をつかめるのではないか? と、少なくともわたしも自身の外来体験から信じています。

自由の橋 

自由の橋にて

掲載の写真はすべて鹿児島大学第一外科、島元先生からの親切なご提供によります


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