幕末の長崎と医学史

2009-07-30

この春から日本医史学会(Japan Society of Medical History)の会員になりました。

入会の動機は、わたしの敬愛する作家、司馬遼太郎の著書 「胡蝶の夢」「竜馬がゆく」に描かれている、幕末の志士や蘭学者が、江戸時代に長崎の地に国内留学しており、
わたし自身も、長崎で医学を学んだことにありました。

日本で最古の歴史をもつ、長崎大学医学伝習所は、安政4年(1857年)、オランダ海軍軍医ポンペ・ファン・メールデルフォルトにより、松本良順らに医学教育を開始しています。

当時の長崎は国内で唯一の外国人居留地であり、封建社会に押しつぶされそうになりながらも、将来の夢を医術や学問、起業に描いた若者であふれていました。

坂本龍馬は当時21歳、剣術修行のために上京し道場で勤皇の志士らと交友を深めていますが、その後、土佐藩を脱藩し、1865年、彼の29歳の時に、長崎に亀山社中という海運業商社をつくり、イギリス人のグラバーらと海外貿易を成功させます。

高杉晋作は、当時18歳、吉田松陰の松下村塾の塾生です。 土方歳三は22歳で、
新撰組の近藤勇に出会う前年で、西郷隆盛は29歳、木戸孝允は24歳でした。

幕末の長崎紀行: https://www.youtube.com/watch?v=ozJ3zmYD-2A

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