マリリン・モンロー

2009-08-28

大正15年6月1日、米国カリフォルニア州のロスアンゼルスに生まれる。
こころの病をもつ母親から生まれ、幼少時期を孤児院や養子として育ちますが、25歳で出演した映画の端役(≒たいしたことのない役)でチャンスをつかみ、2年後には映画『ナイアガラ』で女優として認められるようになります。 その後、大リーガーのジョー・ディマジオと結婚しますが、映画の撮影では遅刻や早退を繰り返し、降板させられるなどが続きました。

昭和37年5月29日 第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディ大統領の45歳の誕生パーティーで『ハッピーバースデイトウーユ』を歌い、大統領をして『わたしはいつ死んでも悔いはない』 と言わしめたことで有名になりました。

そんなマリリン・モンローが3ヶ月後の36歳で睡眠薬の大量服用による薬物中毒で急死したことは、世界中に衝撃と悲嘆を与えました。 その彼女の死体解剖を手がけたのは、当時、ロスアンゼルス郡検視局の監察医だった日本人医師トーマス・野口ですが、解剖時間が3時間以上にも及んだことからも当時の事件への関心の高さがうかがえます。

トーマス・野口は、ジョン・F・ケネディ大統領の弟で1968年に拳銃暗殺されたロバートケネディーの司法解剖を行ったことでも有名ですが、彼は日本人でありながら米国社会で銃器犯罪の法医学という新しい分野を開拓しました。

わたしが米国に留学する直前、トーマス・野口博士と神戸のポートピアホテルでお会いする機会がありましたが、一日本人医師が米国社会で生き抜いていくための並大抵ではない努力と苦労に敬服したことを今でもよく覚えています。

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