教科書の大切さ

2009-08-29

『学校の授業がおもしろくない』という、こどもたちの声をたまに耳にします。 どんな授業が楽しいのか、逆に、こどもに質問してみると、決まって余談のある授業という返答がかえってきます。

「先生の授業は楽しい」と子どもたちにいわれる授業の内容を聞いてみると、そのほとんどが教師の余談のなかに、教科書から離れた興味深い話があるか、あるいは、その先生の失敗体験が語られていることが多く、こどもは忠実に好感をもっている様子が伺えます。

「楽しい授業」と「部活動」を経験したいというのが、中学生や高校生に共通の願いだと思いますが、『授業がおもしろい』といわれる先生の授業には、概して特徴があり、まず事前に念入りに教科書を読み込み、暗記したうえで授業に望んでいる努力がうかがえます。
教科書は一流の学者や執筆者が精魂をこめて書いたものなので、それには必ず目を通していますが、そのまま読んだのでは、生徒の理解力や集中力に差がある以上、退屈だったり、早すぎて興味がもてなくなる可能性があります。 そのため、余談が生徒間の進度の調整に効果的に使われているふしもあります。 さらには教科書の内容を定着させるために余談がある場合もあります。

『授業がおもしい先生』では、すでに前の晩に教科書を予習しながら、授業開始20分の時点で、どの生徒が退屈し、どの生徒が居眠りをするかが見えており、そこで誰に当て、どんな余談をするかの組み立ても出来ているのだと思います。

教科書の大切さをよく理解したうえで、教科の余談や人生の余談のある、ふくらみのある授業が行われることを期待しています。

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