学校にいかない決意をしたこどもたちへ

2009-05-04

5月の連休があける頃になると、学校にいく必要はないのではないかと考えだすこどもたちがでてきます。 わたしも、思春期にそういう思いにとらわれた時期がありましたが、
今、外来で、学校にいかない決意をしたこどもたちに出会うとき、遠い昔に、わたしにあった、懐かしい、親や、学校に向けた、あきらめや、苛立ちのような気持ちが伝わってくることがあります。
今、18万人のこどもたちが、年間で30日以上、学校を休んでいるそうですが、統計には病気による欠席は含まないことになっているので、おそらく、その倍数以上のこどもたちが、学校から縁遠くなっているのではないか?と想像しています。

さらに最近では、保健室登校や適応指導教室という新システムもあり、教室で授業を受けなくても、不登校にはならないシステムができているので、実際に授業に参加していないこどもの数字は、本当は想像をはるかに超えていると思います。

わたしが外来で、こどもたちをみて感じることは、学校にいかないこどもと、行くこどもに能力や才能に決して差はありません。ですが、学校に行き続けるこどもと、行かなくなったこどもには、明瞭な差がでてくるようです。その差は、わたしの医師の目からは、学校にいかないこどもの表面的な変化として、顔がむくんでくること、目を合わせなくなること、好き嫌いの表現が多くなること、眠れなくなること、昼夜の逆転、肌のつやがなくなることがあげられます。つまり、学校にいかないことで、どこか、くたびれた風貌になるようです。これには、ホルモンのアンバランスが影響しており、つまり、わかものの体には好ましくない生活をしているのす。

また、学校にいかなくなると、不思議と通信教育や大学検定など、次々と、生身の人間との交流をしない方法を考えだすようになります。ですが、その先にある、理想の就職や結婚は、対人関係が根幹にあることを考えれば、その進路選定は、ひょっとして、将来の離職や離婚につながる可能性をもつかもしれません。
やはり、学校で、授業や部活動を体験することが、こどもにとって大切な意味があると感じるのです。

わたしのこころの医療は、選択肢の提案が、すべての人に大切であると考えていますが、外来体験からは、学校にいかないことで、若者の生き方に新しい選択肢が増えるとは、どうしても思えないのです。 たぶん、学校には、学力をつけるためだけではなく、同級生と人間関係を営むことで、そこに当然、起きるはずの葛藤や苦しみを経験でき、わかものの特権である率直なやり取りの代償として、こどもたちに、やりがいのある職場や愛情のある結婚生活を与えてくれるのではないかと思うのです。

だから、わたしは万難を排して、こどもたちに、学校で同じ年齢のこどもたちと人間関係を営み続けることを提案します。 授業がつまらない学校もあるでしょう、担任の先生と馬が合わないこともあるでしょう、でも、そんなときでも、わたしの遠い記憶のなかで、君たちを学問に向かわせる勇気をあたえてくれる先生との出会いは必ずありました。そういう先生との出会いは、黒板にかかれたチョークの文字の力強い美しさ、チョークを黒板に折りながらの情熱のある授業、テキストをもたないで暗記して1時間の授業ができる先生、黒板に板書する後姿に勢いがあり、うしろを向いているのに、いつ当てられるかわからない緊張感など、こどもを畏敬させる教師の力がありました。

ですが、そういう先生に出会うには、みなさんが学校に行き続け、求め続ける努力も必要になります。 どうか、わかもののみなさん、君たちのまわりのどこかにそういう先生がいて、あるいは、心ある大人がいて、必ず、君たちのことを気にかけてくれていることを忘れないでください。

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