こころを込めて語る

2009-08-30

昨日は、教科書の大切さについてでした。

さて、次に、大切なのは、授業がこどもたちの個性や能力の発見の場になっているかということです。 つまり、1人ひとりのこどもの興味や関心への気づきの場になっているかということです。

毎日、決められた席について1ページ、1ページ教科書をめくりながら進める式典のような授業や、1チヤプターごとに、単語や漢字を覚えさせる『小テスト』。 こどもの知識を試すための入学試験準備としての『補習』では、穴埋め問題に形容詞や副詞を書き込んでいく細かい作業が要求されていますが、どうも、これらの授業が、こどもたちの興味や関心を伸ばしているとは思えないのです。

つまり、授業をルーチンワーク化したり、ベルトコンベアーでできたボルトやナットの品質検査のような場にしたりすることで、こどもたちが、やる気をなくしているように思えるのです。

工場で規格品を創るような授業の発想もあるのでしょうが、こどもが豊かな個性をもった個人として成長するためには、規格化した作業にどれだけ埋没できるかを問うよりは、生物として人間にそなわった、観る・聞く・話す能力をふんだんに発揮させるほうが、自分の周囲のことに関心をもつようになり、目の前の人間との結びつきに関心を示せるようになるので、おとなになって家庭や職場でうまくいくのではないかと思えるのです。

こどもたちが望んでいる授業とは、人と人が触れ合うときに生じる暖かいこころの交流の場ではないかと思えるのです、それも教科の専門性を通してです。

ただ、そういう出会いはどこにでもあるのではなく、授業が『魂』から湧き出るような言葉で語られたときに、はじめてこどもに訴える力がおき、感動を呼び起こすのではないかと思います。そのような感動をともなってこそ、はじめて、こころからこどもに理解してもらえる授業になるのではないかとわたしには思えるのです。

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